現在も含めて、
長らく日本人に
とって「英語」は
コミュニケーションの
ツールではなく
高校入試、大学入試の
教科の1つでした。
そして、その現状は
今も変わっていません。
テストのために
常に英語を勉強してきて
その度に、点数化され
間違っていたら✕、正解なら〇
を与えられてきました。
子どもの頃から何年も
それを経験しているので
大人になっても当然
日本人の英語に関する意識は
「間違えないようにしなきゃ」
となるわけです。

もしも、我々が
子どもの頃から英語を
コミュニケーションの道具
として使ってきた環境があれば
こうはならなかったでしょう。
なぜなら、コミュニケーションにおいて
文法や言い回しの多少の間違いは
大した問題ではなくて
メッセージが伝えられるかどうか
という点が重要だからです。
そもそも使う機会がない上に
英語が正しいかどうかを
常に減点方式で評価される。
これほど、語学をマスター
しようとする上で
ふさわしくない
環境もありません(笑
多くの人が英語を嫌いに
なってしまったり
英語を使うことに
構えてしまうのも当然ですよね。
こういった空気があるので
もともと「恥の文化」
で生きる日本人は
間違いを恐れて
堂々と英語を使えなくなります。
恥をかきたくないので
常に正しい英語を求めてしまい
間違った英語を話すくらいなら
言わない方がまし
とまで考える人も
少なくありません。
さて、考えてみて
ほしいのですが
果たしてこのような
メンタルを強いられる環境で
われわれ日本人は
英語を話せるようになるのでしょうか。
今回のブログは
日本人特有の
英語に対するメンタルの
在り方を再考し
英語を話すことへの
メンタルブロックを
ぶち壊す。
これをテーマに話していきます。
「生殺与奪の権」を他人に握らせない
突然ですが
私は中学生まで
病気のせいで
プールに入ることが
できませんでした。
プールの授業は
ずっと見学だったのです。
ですから少年時代に
泳ぎを覚えることが
できませんでした。
でも大人になってから
あることがきっかけで
泳ぎを覚えたいと思ったのです。
まずは水に入って
力を抜くことから始めました。
水が怖いので
最初は浮くこともできません。
それでも何度も
水に入っていると
次第に恐怖心も
薄らいできて
身体を浮かすことが
できるようになりました。
それができるようになって
ようやく2~3m程度の距離を
泳ぐ練習を始めました。
すぐに壁につかまれるように
いつも一番端のレーンで
練習してました。
そうして、何度も何度も
回数をこなしていくうちに
次第に距離は伸びて
ついに平泳ぎで25メートル
泳げるようになったのです。
(とは言え、泳ぎ方はけっして
見栄えの良いものではありません)
これは23歳頃の
ことだったと記憶しています。
当然、その年齢の大人が
泳げないことを晒しながら
市民プールで練習しているのは
まあまあ恥ずかしいことではあります。
でも、当時の自分には
周りの目はあまり関係なく
とにかく泳げるように
なりたいという気持ちが
強かったのです。
英語を話す練習
をすることも
これと似たような
ものだと思っています。
水に入るのが怖くて
体も浮かすことができない
これは、英会話を
始めたばかりの人が
英語を話そうとすると
あたまが真っ白に
なってしまうのと
よく似ています。
何度も水に入って
徐々に力を抜く練習を
重ねるうちに
次第に、水が怖くなくなって
体を浮かせることが
できるのと一緒で
英語も、会話の機会を
多く持つことで
次第にその状況に慣れてきて
落ち着いて対応することが
できるようになります

話を戻しますが
常に評価される
という環境で英語を
学んできた我々は
自分の英語が
他人からどう思われるか
が気になってしまいます。
当たり前ですが
下手だと思われたくない、
自分より上手な人がいたら
恥ずかしくて委縮してしまう。
その気持ち
ものすごく分かります
でも大事なことは
英語を話せるように
なりたいなら
他人の英語と
比べるのではなく
過去の自分の英語と
比べることです
昨日の自分、1週間前の自分
1か月前の自分、あくまで比べる対象は
「過去の自分」です。
自分の英語に対する
「生殺与奪の権」は
あくまで自分が
握り続けるべきなのです。
「話せる」の尺度を、自分軸にする
また、始めから
ネイティブが使うような
表現ばかりを
求めすぎない
ことも大事です。
私は泳ぎに関しては
なんちゃって平泳ぎが
25メートル泳げるだけです。
それ以外の泳ぎはできません。
でも私にとって
「泳げる」はこれでいいのです。
これで私は「泳げる」と
公言しています(笑)
クロールも、
バタフライも、
背泳ぎも全部
できないと
「泳げる」と言っては
ダメでしょうか。
そんなことはありません。
みなさんにとっての
「英会話」、そして「英語が話せる」
とは何ですか?
例えば、旅行に行った時に
現地人との少しやり取りが
できる程度にはなりたい
という目標の人にとって
ネイティブが話すような英語は
そこまで必要ではありません。
とりあえず
自分のメッセージを
どうにか伝えられる英語力
(単語のつなぎ合わせ
ではなく)があって
相手の言っていることも
なんとなく分かる
このくらいの英語力があれば
目的は達成できます。
当然、自分の英会話スキルが
向上するにつれて
目標も変わってくるので
それはその時に改めて
別のゴールを
決めていけばよいのです。
比べるのは
他人の英語じゃなくて
過去の自分の英語
『自分軸の英会話』
というものを考えた時に
何をもって「話せる」とするか。
「他人」よりも話せるのか。
「昨日の自分」より話せるのか。
やはりここはとても
大事なポイントです。
誰のための「完璧主義」?
もうひとつ
英会話で挫折しやすい人の
傾向の一つに
「正しい英語」を
使わなくてはいけない
と思い込む。
というのがあります。
過去にたくさん
勉強をしてきた人ほど、
時間をかけて
しっかり勉強した人
であればあるほど
この「正しい英語」を
話さなくてはいけない
という呪縛にとらわれがちです。
意外かもしれませんが
過度にこの考え方を
もっていると
成長速度が遅くなります。
そして
『正しく話せない』
というがんじがらめに
耐えらなくなって
「自分はできないんだ」と
諦めてしまうのです。
結果として
「継続して習慣にする」
という英会話の
黄金ルールから
外れることになります。
考えてみてほしいのですが
相手はあなたの正しくて流暢な
英語を求めていません。
相手が求めているモノ
は何なのかを
今一度考えてみてください。
例えるなら、
暑くてのどが渇いているので
「水がほしい」
と言っている人に
紙コップに入った水道水だと
恰好つかないから
見栄えのいいペットボトルの
ミネラルウォーターしか
あげたくない
と言っているようなもので
相手からすれば
紙コップだろうが
ペットボトルだろうが
水道水だろうが
ミネラルウォーターだろうが
「飲める水」でさえあればいいのです。
ここを勘違いしている人が多い印象です。
コミュニケーションは
あくまで、メッセージを
伝え合うことが重要で
そのための道具です。
言葉のクオリティに
固執しすぎると
本質を見失います。
日本人の「英語」に対するあこがれ
また日本人は聴くことを
良しとしている文化
であるのに対して
西洋では自分の考えを
ロジカルにまとめて
発信することを教育されます。
日本人はそれが苦手なのです。
自分の顔、身体などで
ジェスチャーを交えながら
リズミカルに抑揚をつけた言葉で
ロジカルに説明するということを
教育されていないからです。

だからこそ
多くの日本人が
そう言った言語のリズムに
そしてそれを駆使して話す
英語話者に憧れるのです。
でも強すぎる憧れは
時に注意が必要です。
憧れが強すぎると
「理想と現実のギャップ」
に苦しみ、挫折しやすくなります。
周囲からの評価と
自己評価が一致せず
苦しむことになるからです。
「向き合い方」を変えれば、英会話は爆伸びする
われわれは普段
英語を話す環境にいない
日本人です。
当然すぐに英語が
上手くなるわけはないし
誰かと比べて
見栄を張ったり
委縮したりする必要もありません。
だって英語は
母国語じゃないんですから。
外国人と英語を使って
話をしている。
そのことだけで
まずは自分を
褒めてください。
英語の正確さは
いくらでも後から修正できます。
ここまで
いろいろ話しましたが
他人が押し付けてくる
無責任な英語の
評価基準を手放し
これから自分が作り上げる
英語の成長物語を
楽しむ
こう考えることが
メンタルブロックの第一歩です。
このメンタルを
常備することこそが
英会話において
その後の伸びを加速させる
何よりも重要な姿勢なのです。
「向き合い方」を
変える必要があります。
他人軸の英語から
自分軸の英語に
捉え直し、
英語という
人生を何倍も
楽しめるツールを
これからも
自分らしく
自分のペースで
磨いていきましょう。



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